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もはや硯という漢字を見てもピンとこないとこがありますがすずりです。
スウィッチインタビューで硯を彫る人として製硯師の青柳さんがでていたけども、はるか昔の中国の無名の工人たちがつくった気持ちを持ってつくれるよう、その土地に行き、その土地の食べ物を食べ文化を知り、そうすることで石の見え方が変わってくるというようなことを言っておられたのがとても印象に残りました。
何千年も何億年前の石が、石から硯に変わる瞬間に立ち会い、その石が石であるということは変わらず自然の表情を殺さないつくりをすることが大切で、それが石に対する敬意であると。
昔の無名の工人たちはそうした心を持っていたのだろうなあと、ものを扱うことに対しての考えておかなければいけない大切なことを教えてくれたような気がします。
技術と本質のどちらも伝えたいとの言い方もされてますが、これはほんとそうだなと思います。どうしても、技術自慢になってしまうところがあるので、線を消す意味は静寂のためか、壁の厚みは包容力のためか、きちんとした目的があることと、その目的の立ち位置を間違わないことが、自分が仕事をする上でもとても大切なことなんだろうと思います。