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観について自然観や世界観という言葉がある。人が生きていくうえで身につけていったものもあるし、日本人だからという根源的なものもある。
どちらかと言えば、その人が身につけてきた観については好みがはっきりしていて、好みがはっきりしている分そこを読み取って設計することが大事なのかもしれないが意匠的な部分に直結してなかなか難しい。
それよりかは、もっと原初的な部分での観がある方が設計としてはより豊かな気がしている。
例えば空間にある気配なんてものは個人というよりかは自分達の感覚であって、そういった個性に左右されない部分での組み立て方ができればよい。と言いつつも、最近した事務所は意匠的な感覚が強いように見えるかもしれないが意外と住宅とやってることは変わらなくて、できあがったものの表面的に見えてる部分のバランスで違ったものに見えるだけな気がする。
でもまあ、カラーボックスを使うことと開口部に米松下地と中空ポリカの組み合わせをすることや、壁の小幅板と床の杉足場板、モルタルとの関係性や、塗り壁と光のあり方や、あえて大きな引き違い窓をふたつ閉じてまでつくった溜りや、その小さくなった窓から流れる空気や、壁を建てて空間に裏側ができることとかすべてに意味があって、これは物理的におさえられることではなくどういった気配が空間にでて欲しいかという点に尽きる。
そういえば映画は観るというけれど、そこにあるのは感性のつながりであっていい映画に宿っている気配の自然観や世界観のようなそういう設計ができればいいのだけどと思う。ただこの気配、つくっている最中もできてからも目立って見えるものではない。ただ、観えてくるものがあることはつくる上で大事だと思ってひそかに楽しんでやってるものでもある。